Kitamura Kenchiku Kobo

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ヨコスカストーリー

2019. 01. 20北建日記master

全てはこの個性的な街「YOKOSUKA」から始まった

三代目となる、代表の北村佳巳です。
初代である祖父がここ「ヨコスカ」で独立したのは大正8年のこと。
おかげさまで創業100年を迎えました。
その初代については私が小さい頃に他界したため祖父の記憶はありません。
祖父はとても粋で大酒のみ。いつも若い衆の面倒を見ていたそうです。
二代目の父は若い頃から裕次郎ばりのバイク・車好きで、ギター・三味線から彫刻・絵も得意という器用でこれまた粋な「趣味人」です。

原風景・原体験

私が生まれ育った家は祖父が建てたものでした。大きな中庭のある木造住宅、子供には刺激的な場所が沢山ある迷路のような家で友達とよくかくれんぼをしていました。

中庭に面した広縁や廊下が第二のリビングになっていて、私の机もそこにありました。
大学で設計を専攻していたときから路地や界隈の楽しさ、コミニュティーに惹かれ、今も「物理的な距離よりも感覚的な距離」や「皆が集える縁側の様な場所」を大事にしたいという想いはこの家が少なからず影響しているような気がします。

そんな私にとっての「家」の原風景のようなその中庭の家は老朽化もあって、昭和53年に父の設計施工によって建て替えられました。

小さい頃は資材置き場で職人さんや建築材料に囲まれ、現場へ行けば片付けなどの手伝いもしていました。「今日は建前だ」と聞けば父の後ろを付いていったり・・・多分、ご馳走とお駄賃目当てだったと思うのですが(笑)。
それでも上棟式の独特な雰囲気がとても好きでした。

でもそれらはあくまで断片的なもので、家づくりの始めから終わりまで全てを体感することが出来た最初の家は、父が手掛けた我が家でした。
上棟式も手伝い、脚がすくみながらも棟から遠くを眺めた時の気持ちよさは今でも忘れません。
いつも相手をしてくれる賑やかなオジサン達が、現場では職人の目つきになってテキパキと家が建っていくことに子供心ながら感動し、どんな出来上がりになるのか・・ワクワクした日々が続きました。
この時私は13歳、設計や家づくりの大変さ・面白さを知った中学時代でした。

社会に出て気付いたモノ

その後、自然の流れで大学は建築学科へ進み、住宅の意匠設計を専攻しました。周りの誰もが設計事務所か家業の工務店を継ぐものだと思っていたはずです。
勿論、職人さんたちを束ね、一軒一軒ひたむきに家を造る父は凄いと思っていたのです。でも、毎日現場廻りから汚れきった作業着で帰ったかと思うと、そこから遅くまでデスクワーク・・休みも一緒に出掛けた記憶もあまりない程の仕事漬けの姿を見てきた私。

 モノ作りはしたい・・・でもオヤジとは違う・・・
 もっとスマートでクリエイティブな仕事をしたい。
 そして休日も楽しめる生活をしたい

と世間知らずで甘ったれた考えのまま、就職活動を迎えます。運が良いのか悪いのか、時代はまさにバブル真っ只中でした。
色んな所から美味しい話が耳に入ってくるし、都会やホワイトカラーへのミーハーな憧れもあり、大手の不動産会社に就職することになったのです。

デベロップメントというと聞こえは良いですが、実際はモノづくりとは違う畑。とにかく万人受けして絶対に売れるモノを提供しなければいけない世界。会社として手掛ける大規模な宅地開発と画一的な間取りや家並みに疑問を感じながら社会人として5年が過ぎようとしていました。

そんな頃、結婚間もない妻と二人で、築50年を越えた一軒家を借りることになりました。
その古い木造住宅、実は祖父が建てた家で、父が何度も手を入れながら守ってきた家でした。
建てた当初のままの黒光りした柱や無垢の木の床・・・
父の代で補修した漆喰の壁、柱には祖父が書いた掛札が掛っていました。

それらに触れたとき、幼少時代を過ごしたあの家の木の匂いや感触がふと蘇ってきました。
サラリーマン時代は塩化ビニールの新建材に包まれた家やオフィスが当たり前。どれもとても綺麗な建物ばかり。

 そうか、これが本物の、
 無垢の木の家の魅力なんだ。

ただ、数多くのリフォームや中古住宅に触れて分かったことは、ピカピカの新建材が年月を重ねてどれ程みすぼらしくなるか、ということ。
完成した時が100%の仕上がり。後は古く汚れるだけの新建材。

それに比べ、既に50年以上経ったその家の素材は、傷が付いたり変色しているのに、本物のもつ風合いやどっしりとした存在感が家にしっくりと馴染んでいました。古く汚く見えるどころか、むしろとても心地よく感じる自分がいました。
同時に、この家に施された細やかで丁寧な仕事を目の当たりにし、祖父や父が必死になって守る『小さな工務店』 という仕事が、一人ひとりのお客さんとじっくり向き合うことのできる、とてもやりがいのある魅力的な仕事なんじゃないだろうかと、ふつふつと様々な想いが沸きあがってきました。
本物の素材を使い、本物の職人さんが作る家の心地良さ。その家を見守り続けてくれる「家守り」が居ることの大切さ。そのことに気づけたのは、大手不動産会社に入ったからこそなのかも知れません。
そんな気付きから、28歳のとき、勉強した意匠設計を活かして祖父や父のような家づくりをしていこうと決意。
安定したサラリーマンをやめ、家業を継ぐことにしたのです。

決意と共に・・・

社会人としての自信を引っさげ、意気揚々と家に戻ってきたわけですが、世間はまさにバブル崩壊時代。華やかな会社員時代とはうって変わって、休日返上で寝る間も惜しんで働く毎日が始まりました。
その矢先、二代目である父が倒れ、しばらく療養を余儀なくされる事態になりました。
若さに任せ、がむしゃらに頑張ったものの、自分の力不足に加え、他の会社の下請け工事は請けず、元請工事のみにこだわっていた為、多くの思い通りに行かない現実に悩み苦しんだ時期もありました。

そんな時、戒めのように思う言葉がありました。祖父が口癖のように父に話していたという一言。

 家づくりってのは
 お施主さんと一緒になって造っていくもんだ

その言葉を社訓のように大事にして厳しい時期に流されず、地道に進んできた事が、今日の私たちの家づくりにつながっていると感じています。
父が祖父から引き継ぎ、堅実に伸ばしてもらったレールに感謝し、甘えることなく、その価値を忘れず「受け継ぐべきコト」と「変わるべきコト」をしっかり見極めて進もうと・・・。
そして今では「オヤジとは違う生活を!」どころか、父以上の仕事漬けの日々を過ごしている自分がいます。

私の使命

子供の頃から当たり前にあった木のぬくもりや素材を生かし、楽しい笑顔を一つでも増やせるような家づくりを進める事が私の使命だと思っています。
それともう一つ、わたしたちを頼りにして頂くお客さんの為に、私たちが存続して「家守り」を続けていく事。
その為に無理をしないでコツコツと家づくりを楽しむという事を大切にしています。
海と山に囲まれた自然豊かで個性的な街「YOKOSUKA」で、個性ある家づくりをこれからも続けていきたいと思います。

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